| 昭和17年9月1日(1942) | 清一、愛子の長男として東京下谷上根岸に生まれる。 「さくら色の肌の、それはきれいな赤ちゃんだった」と、母。 |
| 昭和30年3月(1955) |
港区新橋の桜田小学校卒業。 |
| 昭和33年3月(1958) |
慶応義塾中等部卒業。 |
| 昭和35年4月20日(1960) | 両親の経営する純喫茶ブラジルの地下に、高校生伊織少年の提案によるジャズ喫茶ファンキーが誕生する。その頃スイングジャーナル社にいらした、岩波 洋三さんにいろいろ教えて頂き、伊織少年、音楽を担当。 |
| 昭和36年3月(1961) | 慶応義塾高等学校卒業。 2番目の成績で入ったという中等部であるが、高校卒業時においては、みごと下から2番目。 とはいえ、応援指導部・ブラスバンドに所属し充実した3年間を送った。悔いはなし。 |
| 昭和40年3月(1965) |
慶応義塾大学法学部政治学科卒業。 |
| 昭和41年(1966) | 野口伊織、いよいよ活動を開始する。 「ファンキー」を新規開店。3階建てに改装。地下1階・1階はおしゃべり厳禁のシリアスなジャズ喫茶、2階をジャズボーカルアルバム専門のサロン的なバーに。それぞれのフロアーに異なったオーデイオを配置した。 簡単な料理とアルコールをメニューに載せた、ジャズボーカルを聞きながら会話のできるこの2階が、これ以降出店していく店舗のスタイルの基本となる。 |
| 昭和45年(1970) | ロック喫茶「be-bop」開店 |
| 昭和47年(1972) | 「アウトバック」開店 「赤毛とソバカス」 開店 |
| 昭和48年(1973) | 「西洋乞食」開店 |
| 昭和50年(1975) | 「サムタイム」開店 |
| 昭和51年(1976) | 「マッチボックス」開店 |
| 昭和52年(1977) | 「ハム&エッグス」開店 |
| 昭和53年(1978) | 「チャチャハウス」開店 |
| 昭和55年(1980) |
「レモンドロップ」開店 |
| 昭和57年(1982) | 「サムタイム・渋谷」開店 |
| 昭和58年(1983) | 「アルコホール」開店 |
| 昭和59年(1984) | 「d-ray」開店 |
| 昭和60年(1985) | 「カーサレモン」開店 |
| 昭和61年(1986) | 「アウトバック」新規移転開店 「MARU」 開店 |
| 昭和62年(1987) | 「カッペリ」開店 |
| 昭和63年(1988) | 「レモンドロップ2」開店 |
| 平成元年(1989) | 「エージェント」開店 「蔵」開店 「猿楽町バー&グリル」 開店 |
| 平成4年(1992) | 「武蔵野バー&グリル」 開店。その後「西洋乞食」に改名 |
| 平成7年(1995) | 「でんでん丸」開店。その後料理と店名を変え「うつぼ」に |
| 平成9年(1997) | 「金の猿」開店 |
| 平成10年(1998) | 「猿丸」(「サムタイム・渋谷」を閉店。同じ場所に) 「レモンドロップ」ロンロンに出店 |
| 平成12年(2000) | 「わらう月」(「うつぼ」のコンセプトと店名を変更して)開店 |
| 平成13年4月22日(2001) 午前9時 |
脳腫瘍(グリオブラストーマ)にて死去 |